上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
まだ朝もやが家々の壁の下の方を舐めるように流れている早朝
篠田は日向子の家に着いた
相変わらずぎぃぎぃと音を立てる鉄の門を押し開けて中に入ると
庭のそこここにごそっと開いた穴が目に入った

おやおや・・・
日向子さんに見つかる前に埋めないと・・・

小屋のドアの取っ手に手を伸ばしたのと同時に内側から勢いよく
ドアが開いた

どん!
うわ!
きゃっ!

ドアを両側から掴んで篠田と若い女は立ちすくむ

「ば、番子ちゃん?」
「し、篠田さん?」
ドアをしっかりと掴んでいた手の力が少し緩んでドアの後ろから
メガネを掛けた色白の顔が覗いた
「お おは おはようござい ます・・・」
「おはよう」
「早いんですね」
「あ、うん、まぁね」
この子、一体いつからここに居たんだろう
篠田は左手首に目を落として時間を確かめた
6時05分
「す すいません こんな早く」
「あぁ、うん、だいじょうぶだよ、あのね、番子ちゃん、庭の穴・・・」

番子の顔がたちまち真っ赤に上気した

「すっ!すいませんっ!のっ、のびたがっ!わたし!今すぐ・・・!」
番子はくるりと翻ると小屋の中に戻って行った
「番子ちゃん」
「はいっ!」小屋の奥のほうからくぐもった声が返って来る
「シャベルは壁に立てかけてあるよ、ペンキ棚の横あたり」
「はいっ!」
がたがた、がしゃがしゃと賑やかな音がしばらく続いて番子はシャベルを手に
外に出て来た
「静かにやろうね、日向子さん起こさないように」
「は、はい」
_____________________________________

庭の穴を全部埋め終えて、篠田と番子が主犯の「のびた」と小屋の中の
テーブルでコーヒーを囲んで一息ついたのは7時少し前のことだった
「のびた だめだよ、お前は・・・」
番子がのびたと呼ばれる柴犬の鼻をぴん、と弾くとのびたは遊んでもらってると
思ったのか嬉しそうにしっぽを振った
「ほんとに すみません」番子が頭を下げるのをいやいや、とさえぎって
篠田はコーヒーを啜った
「日向子さん、動物好きだからだいじょうぶですよ」
「あ、そのことなんですけど・・・」
「うん?」
「日向子さんには その あたしのことなんて・・・?」
「アシスタントさんに来てもらうことにしたって言ってあるよ」
「あぁ そうじゃなくて あたしの その・・・」
「知らないほうがいいと思う」
篠田のぴしゃりとした口調にのびたもぴくっと耳を上げた
「・・・そうでしょうか」
「そうだと思います」
番子はふぅっとため息をついて小屋の窓から見える日向子宅を見た
「そうでしょうか・・・」

スポンサーサイト
 
こんな物がたいした武器になるとも思えないが
まだ中身が半分ほど残っているビール缶を握り締めて
日向子はそろそろと椅子から立ち上がった

「誰?!誰か居るの?!」
緊張のあまり声が変な風に裏返った

「はい?」
「えっ?」

小屋のドアがきぃっと開いて白衣の男が出て来た

「し、しのさん!やだ!脅かさないでよ!」
「すいません」
別段、悪びれた様子もなくそう言うと白衣の男――篠田は
ドアに鍵をかけるとくるりと振り向いた

「今まで研究してたの?」
「えぇ、まあ・・・」篠田はいつもの穏やかな半笑顔で答えると
今度は門に向かってすたすたと歩き出した
「ちょ、しのさん、ちょっと、ビール飲んでかない?」
日向子は篠田の背中に慌てて声を掛けた
篠田の足がぱた、と止まる
庭のライトが白衣の背中を真っ白に浮かび上がらせている
「じゃあ、お言葉に甘えて」くるりと振り向いた篠田は
今度は半笑顔ではなく全笑顔になっていた
________________________________

「半年になるんだよ、しのさん、信じられる?」
三缶目のビールを持った手を左右にゆっくり回しながら日向子が尋ねる
篠田は小屋の横の植え込みあたりに目を向けながら無言で首を振る
「おにいちゃんさぁ・・・生きてるのかな」
「さぁ・・・」
缶を唇に当てて逸らした篠田の喉が電灯に照らされて日向子はそれが
何となくセクシーだと思った
「大丈夫だと思いたいですけど、どうでしょう」
唇に残った水滴をぺろっと舐める舌がもっとセクシーに見えて
日向子は慌てて視線を逸らす
「うん・・・」

日向子の兄、陽が突然失踪してそろそろ半年になろうとしていた
庭に建てた小屋を「研究所」と呼んで毎日毎日何か新しい薬品を
研究開発していた陽がある日突然消えてしまったのだ
「お日様の雑巾」で使っている洗剤は全て陽が作ったものだ
どんな汚れも分子にまで分解して落としてしまう洗剤
どんな酷い錆びも細かい粉末状にしてしまう洗剤
どんなシミでも、どんな表面からも、浮き上がらせてしまう洗剤
他にも沢山の薬品を陽は次々に開発してくれて、それで日向子の仕事が
ここまで繁盛しているのだ
陽失踪後は陽のパートナーだった篠田が研究開発を続けてくれている

「しのさんさぁ」
「はい」
「おにいちゃん、何してた?」
「何してたって?」
「居なくなっちゃう前、何してた?」
「研究してましたよ」
「何か、新しいもの見つけたとか?」
篠田はすぐには答えず手の中の缶を見つめる
「どうして、そう思うんですか」
「なんとなく・・・」
「なんとなく・・・?」
「おにいちゃん、はっきりは教えてくれなかったけど
ちょうど半年くらい前になんかおっきな会社がおにいちゃんの
研究に関心示してて、研究費用出してくれるかもって言ってたの」
篠田は何も言わずただ日向子を見ている
「その時はあんまり気にしなかったんだけど・・・」
「その時気にならなかったんなら、今気にしなくてもいいですよ」
「しのさんって、時々すごくわけわかんなくなるね」
日向子はふっと笑ってビールを飲み干した
篠田も最後の一口を飲み干すと、立ち上がった
「ごちそうさま」
「あ、うん」
「あぁ、そうだ、ひなさん、明日からアシスタントが来るんですけど
いいですか?」
「アシスタント?あ、うん、ここの事は」日向子は小屋の方向に手を振る
「しのさんにお任せだから」
篠田はこくっと頷くと、じゃあ、と背を向けて歩き出した
「おやすみなさい」
電灯の光の輪の外に消えていく白衣の背中に向けて日向子は手を振った
____________________________________

門を出て100メートルほど歩いてから篠田は携帯を取り出した
「・・・もしもし?番子ちゃん?明日から来てもらうから・・・
「うん・・・犬?犬は・・・どうだろう・・・
「大丈夫だと思うよ、庭掘ったりしなければ・・・
「うん、じゃあ明日」
携帯を白衣のポケットに落として篠田は歩き続けた



 
門に油差すの忘れてた

日向子はぎぃぎぃと耳障りな音を立てる鉄の門を押し開けながら
舌打ちをした

今時こんな思い鉄の門使ってる家なんて、ないよ
あちこち錆びてる上に重たくて仕方ない
でもこの門は父さんがこの家を建てた時に付けた門
あたしが死んで、この家から運び出されるまでは
このままにしておくんだ

真っ暗な玄関で靴を脱ぎ、真っ暗な廊下を台所まで進んで
壁に付いているスイッチを押す
ステンレスの流し、食器が並んだかご、作りつけの食器棚
ガス台、ごみ箱、レースのカバーがかかったテーブル
日向子の生活が蛍光灯に照らされて浮かび上がった

ただいま
誰にともなく呟いてバッグの肩紐を椅子に引っ掛けて
冷蔵庫から冷えたビールを取り出す
今夜は父さんの椅子に座ろう
父の定位置、食器棚の前の椅子に腰を下ろして日向子は缶を開けた
プシュッ
缶が開くや否や飲み口から勢いよく飛び出してきた泡をすすってから
今日最初の一口をゆっくりと飲みこむ

今日も一日、お疲れさん
______________________________

一缶目を台所で飲んでから風呂に入って日向子は二缶目を片手に
庭に出てみた
ポーチに置かれた籐の椅子に腰を下ろして何となく庭を見渡す
どこからかジィ、ジィ、と虫の声がする
空気はまだ夏の夜特有の重さと粘っこさを残しているけれど
ふとした瞬間に肌に感じる乾いて滑らかな風は夏の終わりと
秋の訪れを告げている

何を見るでもなく、何を思うでもなく、庭のどこかで葉の裏に
しがみついている虫のように、じっと籐椅子に座っていた日向子は
ふいに庭の片隅に建つ小屋を見つめた

何か 聞こえた



 
「お疲れさまー!お先しまーっす!」
いったい何を食べてれば朝からノンストップで働き続けて
そして一日の終わりになってまだ、こんな元気な声が出るのか
オフィスを出て行く美智恵の背中に「お疲れ」と投げ返しながら
日向子は今日の仕事のレポートを読み続けた

メトロのビジネス街から少し外れた、所謂ブルーカラーエリアに
日向子のクリーニングサービス『お日様の雑巾』がある
『お日様の雑巾』は規模こそ小さいけれど仕事の迅速さと
丁寧さがメトロのビジネスや一般家庭に好評で、起業して
五年目の今では固定客も数多く付いて、仕事には困らない

夏がそろそろ終わるこの頃になると、バケーションハウスの掃除
レジャー施設の一斉清掃など、大口の仕事が舞い込み始めて
『お日様の雑巾』はてんてこ舞いの忙しさだ
今日だけで海辺のプライベートな宿泊施設を二軒、上から下まで
磨き上げ、日向子とクルーは疲労困憊でオフィスに戻ったのだった

「ひなさん、ひなさん」
声の主を見ると、秘書の麻耶がアイスコーヒーが載った盆を手に
にこにこして日向子を見ている
「麻耶ちゃん、なに?」
「アイスコーヒー、淹れました」
「ありがと。麻耶ちゃんね、片付け済んだらもういいよ?」
「はい」
にこにこ顔はそのままで、麻耶は日向子を見ている
「?」
グラスに刺さっているストローを咥えたままで日向子は麻耶を
目顔で促した
「ちょっと、いいですか?」
「うん、いいけど?」机の上いっぱいに広げられたレポートを
適当に束ねて脇にどけると日向子は隣の席に腰を下ろした麻耶と
向き合った
「なんか、あった?」
「あのね、ひなさん、今朝の新聞 読みました?」
「読んでない。今朝寝坊しちゃって」
「また ホームレスが 死体で見つかったって」
「また?今月で・・・十五人目くらい?」
麻耶はうんうんと頷いて見せた
「わたし、なんか イヤな感じが して」
あ、まただ、日向子は麻耶をじっと見つめた
この麻耶と言う子はどこかちょっと不思議なところがある
本当に親しい人間にしか言わないが何かが見えたり、聞こえたり
感じてしまったり、するのだそうだ
以前も「ひなさん、今日はあのビルには行っちゃいけません」と
物凄い剣幕で日向子の仕事着の袖を掴んで離さなかったことがある
麻耶と揉み合っている間に約束の時間に遅れてしまい
「あんたはクビだ!」と日向子が叫んだとき、オフィスのテレビが
ビルのガス爆発のニュースを伝え始めた
日向子が向かおうとしていたビルだった

「イヤな感じって、どんな?この前みたいなやつ?」
「ちょっと、違うんですけど、何か、とても悪いものを 感じます」
「悪いもの?」
「この前のは、ただ『危なくて、痛い』って感じたんです
でもこれは、なにかとても、悪いんです、とても、大きいんです」
「うーん・・・まぁ、あたしらはホームレスじゃないし、大丈夫でしょ」
「それは そうなんですけど」麻耶は一瞬暗い顔つきになったが
「そうですよね だいじょうぶですよね」といつものにこにこ顔に戻り
「じゃあ これで 失礼します」と立ち上がり、一礼して歩き去った

日向子は麻耶の背中に「お疲れ様」と声を掛け、レポートを再び
机いっぱいに広げて最初から読み直し始めた


 
マニキュアを塗りたての爪に息を吹きかけながら音楽を聴いていると
ガラスのロー・テーブルに置いてあった携帯が小刻みに震えながら
ズー・・・と鳴り始めた
女は別に急ぐ風でもなく、オレンジスティックの汚れていない先端で
スピーカーフォンに切り替えた

「先週報告したはずだけど?」
挨拶を抜きに女は電話の向こうの相手に告げる
「何、イライラしてんの?」
笑いを含んだ声が返って来る
「ふん」
女は携帯に口を近づけた拍子に頬に落ちてきた
ふわふわの栗色の髪を注意深く手の甲で後ろに跳ね上げた
「で?」
「で?って、なに?」
電話の向こうでジッポがカチン、と開く
少し間を置いて、ふっと煙を吐き出す音がかすかに聞こえる
「判ったの?」
「だから、先週レポート送ったでしょう?」
「進展なし、ってことだね」
くくっと言う低い笑い声が聞こえる
「用がないなら」
「はいはい、ま、頑張って」
始まった時と同様に会話は唐突に終わった

女は携帯を出来るだけ遠くに押しやって再び何もなかったように
爪に息を吹きかけた
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。